燒酒

Andong-Soju
은은한 향기와 감칠맛 그리고 깨끗함

起源及び由來

燒酒

かつて、蒙古(後に元と稱する)では、ペルシアのイスラム文化を受け入れながら蒸溜方式の酒を取り入れた。我が国に導入された時期は、高麗時代の忠烈王の時、ジンギスカンの孫であるクビルライが日本遠征をするために韓半島へ進出した時に傳わった。 このことは、燒酎の名稱をアラビア語でアラク(arag)というが、我が國の平安北道の場合はアラン酒、開城地方ではアラッ酒と呼ぶことからも裏付けられる。特に、蒙古の駐屯地であった開城, 前進基地があった安東, そして濟州道で燒酎の製造法が發達したという。

韓国では燒酎を稱する名稱がいろいろある。たとえば、母酒を蒸溜して露のように受ける酒ということで露酒、火を用いるということで火酒、または汗酒、氣酒などに呼ばれている。朝鮮時代には燒酎がさらに流行り、これに關する記録がより多く殘っている。[端宗實録]には、文宗が亡くなられてから、その後を繼いだ端宗が上帝の役割を果したために體が弱くなったので、大臣らが燒酎を飮ませて元氣付くようにしたという記録が見られる。

燒酎は藥として用いるために一度に多く飮まないで、小杯で飮んだ。したがって、小杯を燒酎杯と呼ぶようになったという。このように、燒酎は初めは藥として飮んだり、王や兩班が飮んだ酒であったが、次第に庶民にも普及し一般家庭でも釀して飮むようになった。その後、1919年に平壤にアルコ-ル式の機械燒酎工場が建てられ、つづいて仁川と釜山にも建設され在來式に麹を用いた燒酎は黑麹燒酒となり、1952年からは安い唐蜜を輸入して作るようになった。 1965年に政府の食量政策の一環として穀類の使用が禁止されることによって、我が国の固有の味わいと誠意をつくし作ってきた蒸溜式の純穀酒は跡をくらましてしまった。その代りに、さつまいも、唐蜜、タピオカなどを原料にして作られた酒精を稀釋した稀釋式の燒酎に替り、今日まで致っている。